中路正恒 公式掲示板(研究者向き) 53571

Prehisoric Philosophy 「原始哲学」。 中路正恒 公式掲示板。 わたしの公式掲示板とします。しかし内容は研究者向きになります。といっても、研究ノートのようなもの、メモ程度のことばかりです。ブログ「世界という大きな書物」に載せるほど整ってはいない、断片のようなつぶやき。そう、Twitter(@mnnakajist)の再録が主な内容です。でもこれを出発点にしてすぐにアフォリズムぐらい書けそうです。またこの分野に関心のある人や研究者にとってはこれですでに十分ではないでしょうか。有意義な素材がたくさんあるはずです。


グルーバウエルの『セレベス民俗誌』とその周辺

1:フィロトラジャ :

2010/05/08 (Sat) 12:39:23

アルベルト・グルーバウエル著『セレベス民俗誌』(清野謙次訳、小山書店、昭和19年)とその周辺のことを考えてゆきます。
まずは2010年4月7日のことから。
2010年4月7日

今日はセレベス/トラジャ関係で注文していた本が同時に数冊届いた。例えば昭和十七年、十八年ころの本。これらを見ると、同時の日本がこのインドネシアの島にどのような関心を持っていたかよくわかる。
11:43 PM Apr 7th

一番興味のある本は『セレベス民俗誌』というグルーバウエルの著書。昭和十九年に翻訳が発行されている。これは民族誌として非常に面白い。そして非常によく書かれている。たとえば当時のある村では、闘鶏に蹴爪を切って、代わりに刃物を付けていたことがわかる。これなら勝負も速いだろう。
11:47 PM Apr 7th

あるページを見ていたら、首狩もしくは人身供犠と有力者の葬儀との連関結びつきがよくわかる説明があった。死者の勇敢さの証拠を示すために、葬儀のセレモニーの要件として人身犠牲が欠かせないというのだ。---そのこととまあのじめで優しいトラジャ人たちとどうかかわるのだ?
11:57 PM Apr 7th

25:フィロトラジャ :

2010/05/20 (Thu) 01:14:31

これは清野氏が、「最後の努力は此地から約四時間半ほど歩いて、最終であり且つ最高(海抜約二〇〇〇米)のタカルラに到着するのであった。物語は山霧の形となって我等を包むかと思へば忽ち分かれた。此高さに来て、奇怪にも枝振りの面白い捩れ椰子が其枝をラムプの様に張り出して雲海の中に現れるし」と訳しているところである。

拙訳する。
>われわれは最後の努力をして、ここから丁度四時間半かかって、標高約2000メートルの、最後の、そして最高高度のタカラ(Tak?lla)の頂上に達した。そこではおとぎ話のような風景がわれわれを、一切を覆い隠すかとおもえばただちに分かれてゆく高地の霧の波となって包むのであった。しかしそれ以上に異様なのは、このかすみのヴェールを通して見えてくる、奇妙に長い足で歩く螺子椰子(Schraubenpalmen)であった。その枝付き燭台のように広がった樹冠はみずから霧の海の中で湯浴みしているように見えるのである。

こんなサイトの画像も、グルーバウエルが見た樹木の連想を助けてくれるのではないだろうか。
http://www.palmenhandel.de/index.php?main_page=index&cPath=124



24:フィロトラジャ :

2010/05/20 (Thu) 00:15:35

S.340, Zn.1-7
>>Eine letzte Anstrengung brachte uns von hier aus nach genau 41/2 Stunden zum letzten und h?chsten Gipfel des Tak?lla in rund 2000m H?he. Eine M?rchenlandschaft umgab uns daselbst im Gewoge der bald verh?llenden, bald sich teilenden H?hennebel. Noch bizarrer erschienen durch diese Dunstschleier hindurch die wunderlich gestelzten Schraubenpalmen, deren kandelaberartig ausgebreitete Kronen sich im Nebelmeere badeten.<<
23:フィロトラジャ :

2010/05/16 (Sun) 17:04:21

「<銀の髭> 原文と拙訳。

Grubauer, Albert
>Silbergraue Bartflechten<
S.340
>>Wie Christbaumschmuck hingen Silbergraue Bartflechten vom Gezweig der Waldb?ume herab, und die kleinbl?ttrigen zartgr?nen Ranken der in diesen H?hen gedeihenden Kletterpalmen wanden wanden sich gleich festlichen Guirlanden um
baum und Strauch.<<

「クリスマス・ツリーの飾りのように、銀白色の編み髭が森の木々の枝々から垂れ下がり、またこの高地に繁茂する蔓椰子の淡い緑色の小さな葉のついた蔓が、高木や潅木に、祭りの花綵飾り(Guirlanden)のように巻きついていた。」

22:フィロトラジャ :

2010/05/14 (Fri) 22:06:52

pp.220-221
<タカルラ神話群>
道は緩やかな傾斜地を谷へと進んだ。我等が非常に美しい苔林を一時間ほど下った時、水の流音が耳に聞こえた。タカルラの高原から流れ出た水晶の様に清澄な水が四米程の滝となって流れ落ち、此森地に円い小池を造って居るのだ。此高地に水車が少ない理由、それに伴ったタカルラ高原の伝説が此池の秘密を包んで居るのであるが、タカルラ神話群中の一節に此沼があり、又マッサロウ・マングラの礼拝石がある。誰でも其礼拝石にまず檳榔子を捧げ、然る後に悪魔の犬に草を食わせ、頂上で神(ヅワタ)に祈り、さて最後にトクンヂTokundjiの池で水浴する。ルボニから来る旅人は其逆の順序を行ふだけだ。

*「タカルラ神話群」として知られているものがあるのか? 彼は読んでいたのか?

21:フィロトラジャ :

2010/05/14 (Fri) 21:57:50

<悪魔の犬>
P.219
此鞍部から更に一時間以上を費して第二峰に達した。其頂点に近い鞍部に奇怪な巌があった。それは或る人の幻想では前世界の怪異かもしれない。兎に角此巌の群はタカルラ山系の解けざる謎である。住民はこれを犬の頭にも比較してムンガンガ mengganga と呼ぶ、「悪魔の犬」と云ふ意味である。此所を通り過ぎる者は手に一握の草を取って犬の開いた口の中に入れる。その説明として、悪魔の犬に草を喰はせるとこれに供へた者の畑は野豚に荒らされないと云ふ。私も草を喰はせ乍ら「お前に草を食はせるから、私の畑を荒らす野豚を食ひ殺して呉れ」と云った。此ムンガンガと云ふ名に就いて納得の出来る説明は無い、そして悪魔は誰で、何処に居るか、誰も知らない---唯人々はそう云って居るのだ。

20:フィロトラジャ :

2010/05/14 (Fri) 21:43:52

<峠石>
p.218
宿営地の少し上の草の生えた斜面に人間の手で此所に確かに置かれたと思はるる二個の巨石があった。石の形はトラヂャ地方で上記せる犠牲を繋ぐ石(シムブアング・バツ simbuang batu)と等しいが、此地では全く他の意味で使用せられる。この場所はマサムバからルボニに行く道の丁度中央位になる。それで前半部を無事に旅行し終った旅人は、山の霊に犠牲を捧げて、其恵みによって後半部旅行の無事を祈る場所となるのだ・斯くてルボニから来た者も無事を祈り、マサムバから来た者もよい旅を祈る。

<山脈の第一段階の頂上>
P.218 つづき
我等は今日タカルラ Takalla と呼ばるる山脈の高地を越えんとするのだ。今夕到着せんとする次の駅トクンヂ Tokumdji は其分水嶺を越えた彼方にある。今迄通りに私は小数の同伴者と共に先行した。多数の者は後に在る。二時間余登攀した末に我等は山脈の第一段階の頂上に達した。植物景観は既に甚だしく変って来た。

* タコノキ科の 落葉1米/蔓椰子/ニハトコ/ユリ/アルペンローゼ/多種類のシダ/木性羊歯(Dicksonia)
19:フィロトラジャ :

2010/05/14 (Fri) 21:22:03

2010年5月14日

グルーバウエルの『中央セレベスの首狩族』の本、入手したリプリント版に、12ページほどスキャンミスをしているページがあり、判読できない。そのページのコピーを入手しようとしたところ、日本には二冊しかないようだ。一冊は民博。だが目下貸し出し中という。
もう一冊は、どこだと思う? 何と北大農学部だ。これには少し感動。1913年に出た本だ。コピーの依頼手続きをした。
こんな重要な本がなくていいのか、と言いたい。ちなみにリプリント版を持っているのも日本では多分私一人だ。なにせ発行が2010年4月12日なのだから。運よく手に入ったものである。この僥倖。私こそこの研究をしろということなのだろう。それで少しずつ進めている。

その本、日本語訳のタイトルは(ここで何度も引いている)『セレベス民俗誌』なのだが、清野謙次さんの訳はいろいろ取りこぼしがある。それでそれに頼ってものを言うと、だいぶ危ない。

今日読んでいたところでは、「悪魔の犬」と彼が訳しているところ原書は「サルタンの犬」だ。>Hund des Sultans<。何でサルタンが悪魔なのか?「イスラム教国の君主」のことではないのか? もしかして清野さんはそれを「サタン」と読み違えていたのか? あぶないアブナイ。
これは原書339ページの話。訳本では219ページだ。ちなみにこの本、日本語訳の方は数ヶ所以上の図書館にある。京大の東南アジアセンターの図書館にもある。この訳本には危ない落とし穴が幾つもある---ここでも指摘してきたが。清野さんが愛国的な気持ちから取り組んだ訳書だ。
そしてこの翻訳が、大日本帝国の東南アジア理解の水準だったのだ。悲しくならないか?
18:フィロトラジャ :

2010/05/11 (Tue) 02:22:39

2010年5月5日

つづきのところの原典。"Der Hahnenkampf bedeutet im Leben der Inselasiaten die Befriedigung ihrer unbezaehmbaren Wettleidensahft." (p.323)
「Inselasiaten」は島嶼部アジア人 (1:15 AM May 5th)

訳すと、
「闘鶏は島嶼部アジア人の人生にとって、彼らの抑制し難い賭博熱の満足を意味しているのである」。
「Wettleidensahft」は競争心と訳してもいいのだが、そこに賭けの要素が入っているはずだ。『梁塵秘抄』や『閑吟集』の賭博への情熱を想起させる。トラジャでもそれはある。
私が原典と言っているのは、Albert Grubauer, "Unter Kopfhaegern in Central-Celebes"のリプリント版(何と2010年4月12日の版。入手は4月23日)。残念ながらこの闘鶏の日の記事の最後のページは不鮮明で判読できない。

この闘鶏に賭ける情熱と首狩との間には深い関係があるように思うのだが、それを上手く取り出すことができない。命すら賭けて競争心を何よりも優先してしまうそういうメンタリティー。分からなくはない。

以前に引用した、もしくは紹介したと思うが、清野謙次訳のグルーバウエルの『セレベス民俗誌』のマサムバにおける闘鶏の話。ここのところも怪しい。「決戦すると決ると蹴爪が切られる」(p.206)。 (>>1参照)
原典が手に入ったのだから、「どうかな?」と思うような点は原典に当たってみないといけない。
そこのところ原典はこうだ。"Als die Haehne fuer den Zweikampf bestimmt waren, wurde zur Auswahl der Kampfsporen geschritten, ..." (p.325)

訳してみると。
「対決する鶏が決ると、戦闘用蹴爪の選択に進んだ」。
清野氏は「Auswahl」の意味を誤解したようだ。闘う鶏にとって至極大事な蹴爪が抜かれたり切られたりするのはおかしいと思ったが、闘う鶏の飼い主同士がどの蹴爪をつけて対決するか合意して決めるということだ。

原典の引用のつづき。
"woueber man rasch eine Eignigung erzielte"。
拙訳:
「その件(どの蹴爪を付けるか)についてすみやかに合意がなされる」。
この部分は清野訳では省かれている。

こうしてみると中々大変な訳本をひとは読んでいたわけだ。大東亜戦争のさなかのこと。(3:44 PM May 5th)
17:フィロトラジャ :

2010/05/09 (Sun) 22:12:05

2010年5月4,5日

グルーバウエル『セレベス民俗誌』より、マサンバにてのところ。闘鶏の話。「注意しなければならない事は、此残酷なる闘鶏が此地では単なる遊戯であるに過ぎないのだ。」(p.205) (11:50 PM May 4th)

「闘鶏はインドネシア人の生命であり、其競争心の満足である。数千グールデン、家も畑も妻も子も、のみならず自分自身の自由すらもこの盲目的な情熱の前には失って了ふ」。
この闘鶏に魅せられている心は、インドネシアのいろいろな所で、今日でも確認できると思う。トラジャでも。

蹴爪が切られ、代わりに刃がそこに結ばれるという話しは前に示した(p.206)。(>>1)
闘鶏の前に鶏を刺激することは観察できた。

そこのところのグルーバウエルの記述。
「いよいよ闘鶏を始める時に、先づ以て鶏を刺激する。それには鶏を抱いて首と足とを固く持ち、互いに相手の鶏を近づけてその頭を啄き合はせる。それと同時に場内の鶏仲間が声を挙げて騒ぐから、愈愈鶏は狂乱的且つ闘争的になる」。

「それから地上に鶏を置くが、所有者は尚之を固く握り締めて、命令が一下せる瞬間に之を離して互に闘ひ合はせる」(p.206)。
 私が見たものでは、鶏を交互にトサカの部分を突かせて、闘争心を掻き立てていた。

「勝負の決は一鶏が逃げるか、或は抵抗できずに地に倒れるかである」。

この決定の仕方はその通りなのだろう。闘技場から逃げたかどうかは非常に重要だ。---わたしはそれを邪魔してしまったことになるのだが---。その後、負けた方の鶏に負けを確認させ、そしてその鶏は首を刎ねられる。

グルーバウエルの記述は大変的確なのだが、彼は最後の次のような感想を残している。
「血の流れる胴体は再び勝利鶏の前に投げ出されて啄かれる。私はも早見るのに堪えなかった。そして住民の低級な悪趣味に嘔吐を催してその場を立ち去った」。
わたしがボリ村で見た闘鶏ではそれほどではなかったのだが。

今日最初に紹介した所、清野謙次さんの訳は正しいのだろうか?
(>「注意しなければならない事は、此残酷なる闘鶏が此地では単なる遊戯であるに過ぎないのだ。」(p.205) )
そこのところ原文はこうである:
"Es muss betont werden, dass es sich bei diesen sehr grausamen Hahnenkaempfen um alles eher als um ein Spiel handelt."

試みに訳してみると、
「注意しなければならない事は、この残酷な闘鶏において問題になっているのが単なる遊戯程度のことでは全くないということなのだ」。
そう、闘鶏に人生のすべてを賭けてしまうということ、それほどののめり込みようのことなのだ。(1:07 AM May 5th)
16:フィロトラジャ :

2010/05/09 (Sun) 22:04:55

2010年4月27,28日

なぜか毎日疲れてしまっている。今日は授業が二つ。終わったらもうすっかり疲れはてていた。それから今まで何の勉強らしきこともしていない。 授業で疲れた。民博のビデオのバリ島の葬式のもの、たしか「遺体が土、火、水に還元されて……」というナレーションがある。(11:55 PM Apr 27th)

多分カッコのつく表現をしたまでで、この言葉で何を示そうとしているのかはっきりと考えていないのだと思うが、これをなにか明確な説明であるかの如くに考えてしまう学生がいる。それに疲れてしまうのだ。こうして常套句を使って、物事を見えなくしていく文化が存在している。それではいけない。

とりわけ大学はそれではいけない。鵜呑みにするのはいけない。何がはっきり分かっていた、何が分かっていないのか、それを自分にとって明確にさせてゆく、そういう知性、思考力を鍛えてゆくことが大学の大きな使命のはずだ。ひょっとするとそういう大学が消滅しつつあるのか?

今日は「馬乳酒の祭り」のビデオを見た。こちらは大変よいビデオだ。わたしが「?」と思った説明は一ヶ所だけだ。酒、茶、等を大地に撒く、という風に説明していた所だ。少なくとも打ち水のように大地に広く撒こうとはしていない。上下の方向がある撒き方だ。あそこに、上天への方向性は何もないのか?

「バリ島の葬式」のことで言えば、たましいが、自分の肉体という物質的な拠り所をすっかり失ってはじめて祖先として祀られる存在になるという思想をわたしは読み取るのだが、あのビデオの制作者はどう考えているのだろう? 粉にした骨を海に流して、初めてたましいが祖先の祭壇に戻ってくるのでは?

これはニュス君からの聞書きとしてブログに載せておいたことだ。http://25237720.at.webry.info/201004/article_4.html (12:20 AM Apr 28th)


15:フィロトラジャ :

2010/05/09 (Sun) 22:00:02

2010年4月23日

もう一つ。Albert Grubauerの本が届いた。『中部セレベスの首狩族たちについて』と『セレベス民俗誌』と両方が収められている本。これで翻訳の確認も出来る。写真も比較的鮮明で使える。 (8:25 PM Apr 23rd)

あとはグルーバウエルの『セレベス民俗誌』の一部を読み返していた。パロポからポソへの彼の調査コースと内容を確認すること。ただ普通の地図しか持ってないので地名の確認が出来ない。陸軍の測地部の地図が手に入るはずだが、古書店のものは手が出ない。東南アジアセンターにきいてみるか。

グルーバウエルの本、思い違いをしていた。"Unter Kopfjaegern in Central-Celebes"(中央セレベスの首狩たちのもとで)というのが本題で、「セレベス民俗誌」"Ethnologische Streifzuege"云々はただの副題だった。訂正。

わたし自身の思い込みがないか点検してみる必要がある。セレベスの首狩には、線刻模様の頭蓋への描き込みの文化はないのかもしれない。あれはボルネオのダヤークのもので。要注意。

模様の刻み込みがあるかないかで、頭骨への意味付けは異なってくるだろう。とするとトラジャ族の頭骨の眼窩や口への詰め物はまた別の意味を表現しているかもしれない。アイヌのイオマンテの熊への詰め物とよく似ているのだ。

それは、「あの世の生」をあたりまえのこととして考えている文化ということになるのかもしれない。そういう文化では殺すことはわりとあっさりした問題になる。岡田史子の世界があれほど死をすぐ近い所に描いていることと繋がってくる。 (11:31 PM Apr 23rd)


14:フィロトラジャ :

2010/05/09 (Sun) 21:56:28

2010年4月16日

グルーバウエルの『セレベス民俗誌』から。ラムピ平野の首都ツヅボイ(Tedeboi)での見聞。「村の最も重要なる建物はヅスンガである。他の民家同様に此建物も柱は太く床梁は低い」(p.257)。---その前室に入る---「内部は汚い。床には塵埃が積って饗宴の名残物が落ち散っている」。 (6:19 PM Apr 16th)
「生命の木は中央の柱に結附けられて床から天井に達して居る。此柱に並んで生命の木の横に捕虜又は犠牲死に決められた奴隷が繋がれたのだ」。
「ラムピでは人身犠牲の原因として重要なるは酋長の死であった。其霊はあの世で従者が要るのだ。死者は人身犠牲の行われざる限り、或は首狩して得たる首が棺の上に置かれざる限りは葬ることは許されない」(pp257-258)。

---???犠牲も他部族の者の首も、同様に従者となるのか?

だがそうなのかもしれないと思う。また、「あの世での従者が必要だ」という論理から人身犠牲がなされるのなら、その者の霊を、殺してあの世へ連れてゆかねばならないということになるだろう。こういう発想は分からなくはない。わが国でもあった話だろう。今は?

再び引用。
「其他流行病、奇形児の生れた場合、地震その他の災難が起こった場合に、怒れる悪霊をなだめる為めに犠牲として頭蓋を供へる。此場合に甚だ残酷なる方法にて殺す。即ち各人がクルワングに拷問者の血を塗る必要があるので、僅か宛切るのだ。そして最後に不幸なる者を槍で突き殺す」。

これも分かる気がする。流行病その他の場合。各人が***に拷問者の血を塗る必要があるというのだ。***の「クルワング」が何かは目下不明。いずれ調べる。

次の水牛頭部のシンボリズムも重要。
「拷問柱の前の床の上に可なり厚い木盤が置かれて居って、此板に沈み彫りで二個の向かひ合った水牛の頭部が彫刻せられて居る。此上に斯かる儀礼的殺人、又は首狩の時に切った首を置くのである。そして脳髄は男達で分け合って、頭蓋骨は天井の梁木に犠牲として吊す」

この時に使う見事な鏤刻のなされた槍をグルーバウエルは売ってくれといったが、「きっぱりと断はられた」。これは「神聖なる槍」と呼ばれて「大祭の時丈けに使用せらるるものだ」といわれる。到底欧米人に売るわけにはゆかない。

この首狩や人身犠牲についてのグルーバウエルの記述は、そのままそっくり信じるわけにはゆかない。確実な見聞はどこまでなのか、きちんと批判意識を働かせて読んでいかないといけない。この「生命の木」がルボニ村(Leboni)では「米の木」とも呼ばれていたことにも注目する必要がある。
(7:06 PM Apr 16th)


13:フィロトラジャ :

2010/05/09 (Sun) 21:52:09

2010年4月15日

清野謙次の『太平洋民族学』を少し読む。首狩の周辺。人間の頭蓋骨が通貨とされる可能性があることを彼もほのめかしている。「例えば獣(ガヤール)の頭蓋を通貨とせる種族のあることは前述の通りであるが、ミシュミ族の如きは魚の頭\蓋をも通貨とする」(p.176)。

清野は「或る場合には人間頭蓋と獣類の頭蓋とか可なり混同視せられる」と述べているのである。「人間の頭蓋が通貨になる」という観点は多分重要だ。わたしがトラジャで考えついてのもそのことだった。まだら水牛を頂点とする動物通貨と米・水田通貨と、そして頭蓋通貨。この三種の通貨の循環の中の生。

水牛通貨が非常に正確に計算されることは山下晋司さんの本に言われている。「提供された水牛はすべて「単位水牛」(角の長さ約10センチ…)に換算される」(『死の人類学』p.286)というわけである。あるいは頭蓋への装飾も価値換算されるかもしれない。芸術による価値の生産だ。

人間の頭蓋が通貨になるとすると、戦時とか、儀式とか、成年式とかでなく、いわば自主的に、財産獲得のために首狩をした人間もあったと推定される。この生き方の可能性は、平民層、奴隷層の人間にもあったのではないか。奴隷状態から脱するために首狩をするというようなことが。

そうしてそれによって米(水田の産物の所有権)を取り戻したり、動物(豚や水牛)を買って葬式を上げたりする可能性が開かれていたのではないか。今まであまり考えられて来なかったが、平民層・奴隷層にとっての首狩の(主として経済的な)意味が大きな問題だろう。

王侯・貴族が勇気の証しとして葬儀の際に狩られた首を必要とするということは言われていた。その首を実際取って来た人間は、身分階層を多少とも上昇することができるのではないか。獲って来た人間の首は、まだら水牛と匹敵したのではないか?


12:フィロトラジャ :

2010/05/09 (Sun) 00:53:39

>>1
>たとえば当時のある村では、闘鶏に蹴爪を切って、代わりに刃物を付けていたことがわかる。これなら勝負も速いだろう。

これは清野謙次氏の訳の誤りです。それについては後で原文を紹介してたものを載せます。
11:フィロトラジャ :

2010/05/08 (Sat) 14:51:05

グルーバウエルはまたカラムビ村(Kalambi)はこの地方最大の市場村であるといい、そこでは水牛や馬などの大きな動物の取り引きが行われると記しているが(p.178)、この市場は今もその地に有るのか?

「世界という大きな書物」  中路正恒ブログ: 豚の運搬・固定 (インドネシア・スラウェシ島・トラジャ県・ランテパオ市内ボル(Bolu)の市場にて)
10:フィロトラジャ :

2010/05/08 (Sat) 14:30:35

グルーバウエルのトラジャについての記述ではネヌング城(neneng)の話しも興味深い。
「此城は嘗てトラヂャに於ける最強の守備として存在し、オランダ人との近年の戦争では長い間籠城して、やっと大砲を持って来たので占領できたのであった」(p.149)。
奥村明の説く岩壁要塞と共通するだろう。

グルーバウエルが「既述」というトラジャ人が森を焼く話はどこに出ていたか? ほとんど記憶にないのだが、興味深い問題だ。

これはその関連と言えるのか?
p.125「乱伐の結果として此地方には森が無い、傾斜地の上の方迄畑である。諸所山頂に墻を饒らした人家の小聚落が点在するが、これは往昔ブギー族の奴隷商人が人狩に襲撃して来たのを用心した名残である」。

この記述は既に引いたか?
p.134「往昔トラヂャ族の村は通常容易に到達し難き地に在った事は前述の通りである。此隣地より襲撃するルウ族の略奪行為に対して原因的関係を有するものは死者の葬穴を他人の到達し難い断崖に造る風習である」。
これは今日では常識的見解になっているものだ。

今思うのは奥村明元少尉はその行軍中にすでにこのグルーバウエルの書物を読んでいたのかということだ。遺骨と宝物をともに葬穴のなかにあったとする想定は、このグルーバウエルの推測から借りてきたものではないか?

9:フィロトラジャ :

2010/05/08 (Sat) 14:28:53

2010年4月12日

グルーバルト『セレベス民俗誌』より。「途中で遇ったトラヂャ族の女達は、通り過ぎる時に片手を広げて、自分の面を隠す。これは邪視を防ぐ為めの魔除けの形式で、私の粗野な髭面の致す所である。トラヂャ族には髭面は一向見馴れないもので、彼等を驚かせて逃げ出させるに足るものなのだ」p.147

これは扇を広げて、骨の間から見るというやり方と、似たようなものなのか? つまり、手のひらを広げて、けれど自分の目で見ることは出来るようにしているのだろうか。多分そうだ。

同書P.182。「コンハングの峯に近い所で、我等は度々渓谷に住んで居るトラヂャ人が重い薪を負っているのに遭遇した。此連中は既述の如く徹底的に森林を荒廃せしめたので、斯く迄遠い所から薪を取って来なければならないのだ。」
阿部健一さんは東チモールでは二時間掛けて薪取りに行くと記す。

実際トラジャでは太い木がまったく見られなかった。日本軍が植えたという松(琉球松?)はかなりよく見掛けたが。

「彼等は森は畑作の邪魔になる野豚を済ますと云う」(p.183)という話だが、燃料という考えなしに森を焼いてしまったのだろうか?

8:フィロトラジャ :

2010/05/08 (Sat) 14:18:52

>>7
>「トラジャ族では水牛を殺すのに刃の広い槍を使ふ。此槍は只此目的だけに使用せられるものである」(訳書p.167)
原書
>“Das T?ten der B?ffel geschieht bei den Toradja mittels einer starken breitklingigen Lanze, die ausschli?lich zu diesem Zwecke benutzt,wird”(S.262)
「刃の広い槍」のところ「starken breitklingigen Lanze」であるが、「breitklingig」がイマイチよく分らない。彼が「槍」として写真に示しているものは(151a)、日本の狩猟用の槍に似た刃のものだ。
狩猟用の幅広の三角槍のような刃のもの。だがこれでどうやって水牛を殺すのか? これでは喉笛をかき切るようなことはできず、距離をとって刺すようなことしかできないだろう。
水牛は今日のように飼われていなかったのか? むしろ半野生のような飼い方で? グルーバウエルもどこかで水牛のそんな飼い方について語っていた。だがそれが通例だったのか? 多分違うと思うのだが。
7:フィロトラジャ :

2010/05/08 (Sat) 13:50:46

2010年4月11日

九十九年前のグルーバウエルのトラジャの旅が、きちんと比較の対象になる。彼は「トラジャ族では水牛を殺すのに刃の広い槍を使ふ」と言っているが(P.167)、わたしの見たところでは鉈を使っていた。
9:43 AM Apr 11th webから

6:フィロトラジャ :

2010/05/08 (Sat) 13:47:37

>>5
訂正:
「Their」→「Tier」
5:フィロトラジャ :

2010/05/08 (Sat) 13:45:08

>>4
この「容赦なく殺された」のところ、原文は以下。
"Wohl tat mir des arme Their herzlich leid, das auf so grausame Weise dem Tode des Verschmachtens preisgegeben wurde, dennoch war ein Widerspruch ausgeschlossen."
かなり意訳に近いが「auf so grausame Weise」が訳文の「容赦なく」に相当するだろう。「かくも残酷な仕方で」というぐらいが普通の訳になる。「ohne…」という表現ではなかった。

 とすると、グルーバウエルに対する問題は「これは残酷か?」ということになるが、どうだろう。


4:フィロトラジャ :

2010/05/08 (Sat) 13:19:32

先程のグルーバウエルの「斯くも容赦なく殺された」の言、これは少し違うかもしれない。「容赦なく追い詰める」というようなことではなく、「淡々と」、「あっさりと」、「簡単に」というぐらいが、わたしが水牛の供犠を見た際の印象だ。水牛の方もかなり淡々としている。
9:12 PM Apr 10th

近々グルーバウエルの原書が入ると思うので、原語も調べておこう。"ohne"の後、何という語が来ているのか。清野謙次氏の訳は適切なのか。
9:14 PM Apr 10th

3:フィロトラジャ :

2010/05/08 (Sat) 13:17:07

2010年4月10日

『セレベス民俗誌』より。「演説の終に彼(ネヌング村の長老)は私の住んで居た室で神(ヅワタ)に感謝の犠牲を捧げ、神が私を羨ましがらない様にし度いからと云ふ許可を乞うた。私が同意したので、彼の従者は一羽の家鴨を持って現れた。」(p.158)
10:08 AM Apr 10th

「そしてパリンギンが祈祷の言葉を云ふと共に、これを足下に踏えて首を柱の根の所で下を向けさせて縊り殺してしまった。私は可哀相な鳥が、斯くも容赦なく殺されたのを見て気の毒になった。」
10:14 AM Apr 10th

「何としても此心理状態がパリンギンの重い病だ思ふが、私の心の動きもトラヂャ族には了解出来ない事と思ふ。」(p.158)

 わたしもここに少しの違和感を感じる。「容赦のなさ」。これは何に由来しているのか? 差異の感覚? 絶対的差異の? 
10:16 AM Apr 10th

この容赦なさは、相手が水牛でも(これは観察した)、そしておそらくは奴隷でも、発揮される。その根は何なのだ!?  
10:18 AM Apr 10th

この「容赦なさ」、これは差異の感覚に基づくというよりも、生の軽視に基づいているように見える。「生の軽視」、これはある意味「死の重視」であり、生の意味・意義が、強固に決められ、定められていることから来るように見える。当該社会の中だけで生きてゆくという姿勢、予め定められた決定。
10:27 AM Apr 10th

グルーバウエルという1911年のセレベスを旅したこのドイツ人の学者の感慨に、かえって親近感を感じてしまう所がある。だがそれだけではいけない。グルーバウエルにはそこかしこに感心する所がある。シャープな観察をしている。
10:31 AM Apr 10th


「神が私を羨ましがらないように、神に犠牲を捧げる」。この感覚はとてもよくわかる。周りにたくさんの神々、精霊たちを感じている人々なのだ。それを聞き取り、書き留めるグルーバウエルも素晴らしい。室には「室の神」がいる。人の過度の幸福は神を羨ましがらせ、嫉妬させる。バランスが崩れる。
10:37 AM Apr 10th

2:フィロトラジャ :

2010/05/08 (Sat) 12:48:00

2010年4月9日

『セレベス民俗誌』から。ルアルン(Lealung)村の辺りの話。「此地方の周囲の山には到る所に上記横穴式葬穴がある。例へば我等の通った小径の横に二〇米位の殆んど垂直を成せる断崖があって、それに極めて多数の横穴があった。」(p.132)
2:37 PM Apr 9th

「其隣に深い谷を成して、上の方に口を開いた大きな洞穴があった、口の所は狭いが、中は中々広い、岩の裂け目であった。此洞穴は永久に使用せらるる協同墓地である。それと云ふのもトラヂャ人の全部が横穴を掘らし得るわけではない、貧乏人は此共同墓穴に葬られるのだ。」
2:42 PM Apr 9th


「其場合には男女、小児の別なく、遺骸は亜麻布で包まれて、狭い木板に縛り附けられる。そして親近者が遺骸を此口に運んで行って、遺骸に縄をつけ、特別の儀礼の下で、此洞中に投げ込むのである。」

 こういう「貧乏人」についての記述が、かえって新鮮だ。そして知りたいところでもある。
2:46 PM Apr 9th



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